川柳の周辺
俳句を創ってゐる者の習性として時の移りをつまりは季節を、歳時記とともに感じようとして実感との差異を、いかに縮めようとするかに腐心する。現実は新暦に生きながら、旧暦のニュアンスを色濃く反映させる体験を具象化する。11月の下旬に入っているのに、10月の下旬だという風に。俳人は初冬をうたいあげてる時に、歌人は秋も深まりと詠う。確かに「時と季節」は重なり合いながらうつりあってゆく。しかし、有季定型の俳人は立春、立夏、立秋、立冬というけじめを厳守する。季語を必ず入れるという掟に従って、時の変化を自己に強制しようとする。その点、俳句の「切れ」や季語の選択という縛りを発生時点において持たされなかった川柳は自由である。五・七・五の縛りのほかに縛りはない。ただ、切れるなとは言われるが、切れている川柳は多数ある。自然・叙景の俳句、人事・抒情の川柳という比べ方もされるが、そんなもんかなという程度の話だ。