[兵站戦線2673]

homefrontとは「銃後」という意味で、あえていえば「兵站」と云いましょうか。小島祝平氏曰く、川柳は正直に詠む。ええ恰好しよ、思うのは川柳やない。川柳のいのちは、真実(ほんま)や、ほんまのところにユーモアが出る。うそはあかん。短歌ブログ;http://ameblo.jp/oyajipoem 俳句ブログ;http://blog.livedoor.jp/kigai_bow/

逃亡から失踪へ、野生の人間思慕。

まるで安倍公房の世界じゃないか。東京・恵比寿の野生狸保護事件は、一路人間社会をめざして都心に現れた野生が抱える飢餓を示している。このたぬきAは、なにをめざしてダンス教室に迷い込んだか。Aが、抱えてきた問題は武蔵野の原野に追放して解決するような浅薄で怠惰な事象なのか。私は人間が今問われていると思う。奪ってきた野生の原野を、魂を送り返すことはできないのだ。Aは追放されても恐らく舞い戻ってくるだろう、すでに野生の掟を捨てようとしたから野生が受け付けないのだ。まるで戸籍から除籍された迷い人の群れと同じだ。新しい戸籍につながない限り、実数に入らない人口でしかない。まるで無国籍の人と言えよう。

 

飼われた家族を営ませない限り人間的安住は実現できないだろうと思う。その最たるものが動物園である。囲まれた居留地。あるいは流刑地。

 

都市化の中で置き去りにされた、野生との共存社会。都市と都市の間にそれは確かに存在した。しかし都市化は「面」による野生の支配である。野生との共存社会は崩壊した。いたるところにその残骸の破片が散在している。それは単なる『緑』ではなかったはずだ。Aのような者が依るべき自由の地平であるべきで、人間はそれを保全する責務を負うている。あくまで管理された自由なのだが・・。

 

えさを与えず自活させる。不毛ではなく共存させられたエリア。弱肉強食の社会。それが自然だろう。

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